生存報告です。
とは言うものの、ここを閲覧している人はおるまいと思われますが。
気づいたら一年二年はすぐに経過している。
光陰矢の如し。
真面目ぶったことを書くのか
ふざけたつもりの事柄を書くか
場末のブログなので
悩んでもたいした意味もなし。
考えます。
生存報告です。
とは言うものの、ここを閲覧している人はおるまいと思われますが。
気づいたら一年二年はすぐに経過している。
光陰矢の如し。
真面目ぶったことを書くのか
ふざけたつもりの事柄を書くか
場末のブログなので
悩んでもたいした意味もなし。
考えます。
最近、読んだ本の記録をつけていない。
以前はTwitterを備忘録として使っていたのだが、数か月ほど前からTwitter自体触らなくなった。
理由は、疲れてしまったから。
もっと言うと、Twitterで他人の呟きに触れすぎて、自分を見失っていく気がした。
今更気づいたが、自分は他人の意見を自分の意見のように捉えてしまう傾向が強い。
いつの間にか人の意見を自分の意見として思い込んでいたりする。
他人の主義主張だけでなく、喜怒哀楽まで影響されてしまう。
「こんなことがあった、ムカつく」といったものまで、自分が体験したかのような気になり、一日落ち込んでしまうのはさすがにまずい。
なので、しばらく触らないことにした。
とりあえず、今のところ読書録はここにメモしておこうと思う。
読んだ本
田中啓文『件 もの言う牛』
十三不塔『ヴィンダウス・エンジン』
門田充宏『記憶翻訳者 いつか光になる』
椎名誠『砂の海』
山本巧次『開化鉄道探偵』
今村昌弘『屍人荘の殺人』
アレン・エスケンス『償いの雪が降る』
ジャナ・デリオン『ワニの町へ来たスパイ』
ロバート・ロプレスティ『休日はコーヒーショップで謎解きを』
小森収 編『短編ミステリの二百年』1~5
『作家の珈琲』なる本がある。
平凡社から出ている作家シリーズというやつの一冊。
過去の作家たち(物故している作家がメイン)の様々な生活・嗜好を多くの写真と共に語っている。
他にも『作家の酒』『作家の犬』『作家の猫』など。
『作家の珈琲』は当然のごとく作家とコーヒーにまつわる話。
池波正太郎や井上ひさし、落語家の古今亭志ん朝とかも載っている。
俳優の高倉健が無類のコーヒー好きで、一日何杯も飲んでいたことは初めて知った。
この本にはここ最近で一番影響を受けた。
自分もコーヒーを飲むようになったからだ。
今までインスタントか缶コーヒーくらいだったのが、気づけば家でハンドドリップまでしている。
ドリップ器具もそろえだし、豆も近くの焙煎してくれる店で買うようになった。
身に合わない凝りようだなあと我ながら思っている。
もともと作家のスタイル的なものに憧れがあった。
(自分が作家なのか? という部分には目をつむる)
自分の中の単純なイメージでは、酒・煙草・珈琲あたりが「ザ・作家」な要素である。
話はそれるが、マット・ディロンが作家チャールズ・ブコウスキーを演じた映画の一ショット、どこかの店のカウンターで酒のグラス片手にタバコふかしながら書いてる姿がかっこよかった。映画はまだ観てないんだけど。
自分は酒に弱く、タバコも吸わないので、結果コーヒーに向かった。
今も台本の構想でも、と思ってコーヒーを淹れ、パソコンの前に向かい、気づくとコーヒーだけがなくなり一文字も書いていない、といったことをしょっちゅうやっている。
でもスタイルの真似事は少し気分がいい。
飽きるまでやってみるか、な具合である、今は。
世の中がウィルスでえらい騒ぎになってあっという間に一年経った。
で、まだまだえらい騒ぎになっている。
しばらく明るい目は見えない、と個人的には思いつつ、
また書き始めてみます。
自分は物語を読むとき、主人公には感情移入をしてしまう。
でもそれが、かの悪名高きドイツ第三帝国総統だったら、どうなんだろう。
「アリ」なんだろうか、「ナシ」なんだろうか。
ラヴィ・ティドハー『黒き微睡みの囚人』(竹書房文庫)を読んだとき、そんな感想を持った。
簡単に言うと歴史改変SF。
作者のティドハーはイスラエル出身、イギリス在住の作家。
イスラエルの作家がアドルフ・ヒトラーを主人公に据えた小説を書く。
それだけで浅薄な自分にとって、なにか凄みを感じてしまう。
史実と違い政治闘争に敗れ、イギリスに亡命し私立探偵を営むウルフ(作中での呼び名)。
ある日、依頼に訪れたのはユダヤ人だった。
なかなか飛ばした設定から始まる。そこには権力もカリスマもない一人の中年がいる。
探偵としての活動中も、ひどい目に遭ってばっかり。史実での栄光は微塵もない。
本人も歯噛みしながら、どんどん状況に翻弄されていく。
作中のウルフは、ドイツを手中に収められなかった。
つまり、ポーランド侵攻もホロコーストも行わなかったことになる。
じゃあ、良い奴なのか?
でもユダヤ人を憎悪してる。性格が良くなってるわけでもない。
なんだか問われている。彼をどう見ますか、みたいな。
終盤、ヒトラーの後釜として擁立された人物が出てくるのだが、皮肉が効いてる。
そいつを持ってくるか、て感じ。
結末は、ひとつの救い、というか、フィクションにおける希望、みたいなものを感じた。
こういうものを書けることが、フィクションの価値かもしれない、と。
読み終わって結構経つのに、うまく言語化できてない。
やっぱり読書感想など無理かな、自分。
本をちょこちょこと買います。
新刊も古本も。
その帰りに図書館に寄って借りてきたり。
でも結局、全部読めなくて返却。
買うペースと読む速度がまったく見合っておりません。
と言っておきながら、本好きなのか、と問われるとちょっと自信がない。
十代の頃。
よくよく思い返してみると、当時はそこまで読んでいなかった。
角川ホラー文庫で『幽霊狩人カーナッキ』や『妖怪博士ジョン・サイレンス』などに
出会ったりはしていたけれど、全然たいして読んでない。
でも本屋にはよく行った。
理由は小説ではなく、TRPGのルールブックを買っていたから。
そう、自分の青春は大体、TRPGと格ゲーとMTGで埋まってたのでした。
じゃあ、本を読むようになったのは?
芝居の台本を書き始めてからです。
つまり、必要に駆られて。
そこで読んでいくうちに、少しずつ増えていって、
気づいたら、今までで一番本を読むようになった。
とは言いつつも、年間百冊も行かないくらい。
これじゃ本好きとは言いづらいかなあ、と。
まあ、読むスピードが全然追いつかなくて、
家に積み本がどんどん溜まっていってますが。